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大阪高等裁判所 昭和41年(う)949号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕論旨は事実誤認を主張し、本件出火場所は被告人の隣家である小谷嘉七郎方洗面所及びその上の二階の渡り廊下であつた。証第九号の床板は焼失した調理室に隣接する休憩室の床板であるが、この床板は本件火災以前に燻焼したものであつて、本件とは無関係である。被告人が注意義務を怠つたことは絶対にない。終業時の点検、用心水の汲み置き、ガス元栓の閉止等は日課として必ず行なつている。もし強いて言うならば、この注意義務の履行が十分であつたか否かが結果論として言えるかもしれないが、これはカマド附近が火元と仮定した場合のことであつて、事実は違うのであるから被告人については重過失失火罪は成立しない。なお原判決は、「調理室内部及び同室と休憩室の間の前記ベニヤ板、木摺壁の燃焼状態は、かまど側面は鴨居に至るまで完全に焼け落ちて人が通れる程度の空間を作る等相当に甚だしく、被告人及び同人方にかけつけた前記の人々の供述調書、証言等によつて認められるところの同人らもほとんど認識していない程度の調理場の燃焼状況をはるかに超えるものである。故に右は被告人が起き或いは右の人々がかけつけるより以前に燃えたものと推認する外はない。」といつているが、実際は右の人々が帰つた後に燃えたのではないかと考えられる。また原判決が判示する延焼状況は、火焔が上から下に向つて燃えていくなど甚だ不合理である。要するに、原判決は証拠の取捨選択及びその価値判断を誤つた結果、事実を誤認したものであつて、到底破棄を免れない、というのである。

よつて記録及び当審における事実調べの結果を精査し案ずるに、原判決挙示の証拠によれば原判示事実を認めるに十分である。被告人は、本件火災の出火場所は被告人方の隣家である小谷嘉七郎方洗面所及びその上の二階の渡り廊下であり、原判決は事実を誤認している旨力説するので、当裁判所が被告人の右主張を排斥し、原審同様本件火災は被告人方階下調理室内に設置された炊飯用かまどの長年月に亘る使用による加熱により右かまどに密接して造られた南側休憩室との間の仕切り壁の隙間に落ち込んで堆積した燃料のオガ屑及びこれに接続する休憩室の根太、床板が燃焼し易い状態にまで炭化していたところ、昭和三五年八月二五日における右かまど使用の際の熱により同日午後一二時前頃、右オガ屑及び根太、床板が燻焼状態から発火点にまで達して遂に発火した結果発生したものであると認定せざるをえない理由を次に説明する。

一、本件火災の出火原因を前記の如く認定した理由

(一) 先ず本件火災の発見状況からみて被告人方の階下調理室附近が出火部であると推定される。

即ち、消防到着以前の早期発見者の供述をみると、<中略>

当夜サイレン(午前〇時一〇分前後頃に鳴つたと推定される)の鳴る前の午前〇時少し過ぎ頃、被告人所有の本件家屋の道路向い側等で本件火災を発見した藤井弘、大伴成幸、仲井通裕、北村紀之、谷田部勝義、由利彦三郎らは、いずれも右火災発見の際、被告人方の階下内部が明るく燃えているようであつたと供述し、殊に右大伴は戸を開けて被告人方店舗内を見たところ目の前が明るかつたので恐くて入れなかつたこと、右由利は店舗内に入つて調理室の燃えていることを確認し、二、三度呼び起していること(その頃被告人はまだ火災に気付いていなかつたと考えられる)が認められる。また、原判決挙示の証人寿賀武夫の原審公判廷における供述によれば、当夜被告人方の筋向いにある豊岡消防署に勤務していた右寿賀は、当夜午前〇時少し過ぎ頃、望楼上から小谷嘉七郎方(被告人方の東隣り)西側外壁と被告人方の屋根の接合したその上部に火が照り、被告人方家屋の鉄筋部分から木造部分に入つた辺が燃えているのを発見し、同人の連絡によりサイレンの吹鳴、消防車の出動をみるに至つたことが認められるのである。なお、消防到着直後の模様については、証人寿賀武夫、同西岡芳太郎、同石岡宇之助の原審公判廷における各供述によると、右西岡及び石岡はいずれも当夜豊岡消防署に勤務し、サイレンとほとんど同時に鳴らされた火災報知のベルによつてそれから一分以内位に出勤し、同所から約五〇米離れた本件火災現場に到着後、石岡は西岡の命によつてホースの筒先を持つて一番先に被告人方店舗に入り、盛んに燃えていた調理室に放水して同所の消火をしたことが認められる。

(二) 次に本件火災現場の焼燬状況からみて被告人方階下調理室内の炊飯用かまど附近が出火部であると推定される。

即ち原判決挙示の司法警察員作成の昭和三五年八月三〇日付実況見分調書によると、被告人方調理室と二畳の休憩室との境の袋壁は一部が残されている外は焼け落ち、殊に壁の東側部分は完全に焼失し隣室に自由に出入りできる状態であり、壁が最も良く焼けた地点にかまどが設置されていて、焼燬状況を調理室全体としてみるとかまど附近が最も高く、これより遠ざかに従つて焼燬程度が非常に低く見られること、天井は一面に焼焦れており、調理室煙突の地点より遠ざかるに従つて焼燬の程度が低くみられること、休憩室との境の壁が出入りのできるまで焼け落ち、これより遠ざかるに従つて焼燬の程度が非常に低く、床の部分もかまどの設置された部分が一部焼けている程度で他に焼けた個所がないこと、一方被告人方かまどの位置に相応する小谷嘉七郎方事務所西側階段の部分は全然焼けておらず、被告人方かまどの煙突の部分に相応する小谷方階上物置場は小谷方全体からみて燥燬程度が最も高く、その物置場の部分にあつたと思われる三階は完全に燥燬してその跡も見られない状態であることがそれぞれ認められるからである。もつとも右実況見分調書によると、被告人方の階段の地点も相当燥燬し、階段、東側に設置された戸棚の中間の板壁の部分は小谷方と自由に出入りできる程度に焼け抜けているが、焼け抜けた穴の周囲の柱等の燃焼痕の炭化深度は天井の部分が非常に高く下部に至る程低いこと、同所の小谷側はコンセント付タンブラースイッチが線はついたまま柱が焼けたため柱から離れてぶら下つており、そこが洗面所となつていたが、焼燬の状況をみると被告人側は焼燬の程度が非常に高いのに対し小谷側はそれ程ではないこと、右コンセント付タンブラースイッチの取付けられた柱は南面及び西面は燃焼炭化しているが、東面及び北面は燃えておらず(右実況見分調書添付の写真二六号参照)、同スイッチの取付けられた柱の取付部及び配線経路附近には燻焼痕と認められる個所は全く見当らない(同上添付写真三六号参照)ことなどに徴すると、小谷方の右洗面所附近より出火したものではなくて、むしろ被告人方から類焼したものと推定される。

(三) 本件出火原因は、被告人方のかまどの加熱により、これに密接した仕切り壁の隙間に落ち込んだオガ屑及びこれに接続する休憩室の根太、床板が燻焼状態から発火点にまで達して発火したことにあると推定される。

検察官作成の昭和三六年二月二八日付実況見分調書によると、原判決挙示の床板(証第九号)は被告人方かまどにベニヤ板を経て接する休憩室の根太の上にのつていたものであるが、原判決挙示の原裁判所の昭和四〇年一一月一〇日付検証調書及び鑑定人宮崎信雄作成の鑑定書によると、右床板に存する焼け穴は裏面即ち床下から燃焼したものと認められ、またその燃焼は本件火災の初期に起つたもので、他からの延焼によるものとは認められないことは原判決の説示するとおりである。しかして被告人の原審公判廷(第二一回)における供述によると、右かまどを最初に造つたのは昭和二八年頃であり、その後三一年頃構造を変え、本件火災の際にあつたのは最初のものを半分位残していたものであるが、前掲司法警察員作成の実況見分調書及び原裁判所の昭和三六年四月一九日付検証調書によると、右かまどは西側及び北側はセメント造り、南側は煉瓦積みで目地はモルタルでつないだものであつて、宮崎信雄作成の前掲鑑定書及び証人小田垣忠文の原審公判廷における供述によると、右かまどの目地のモルタルに亀裂の入り易いところから、本件火災は右かまどを長年使用している間に外面煉瓦に接着しているオガ屑及びこれに接続する根太、床板が亀裂による漏気面から放出された熱気によつて逐次炭化状態になり、昭和三五年八月二五日における右かまど使用による加熱により遂に燻焼状態から発火点に達して発火したものと推定されるのである。

二 被告人は本件火災の出火場所は小谷方洗面所及びその上の二階の渡り廊下であると主張するが、原判決挙示の土肥幸弘の原審公判廷における供述及び原審で取調べた同人作成の鑑定書によると、小谷方洗面所の柱に設置されていた前記コンセント付タンブラースイッチ(証第一号)ならびに銅線(屋内電灯線)(証第二号)には漏電あるいはショートによる電気的溶融痕が認められず、また証人浜熊一の原審公判廷(第五、第三〇回)における供述によつても、小谷方の漏電により本件火災が発生したという可能性は認められないのみならず、小谷方洗面所及びその上の二階渡り廊下に他に出火の原因となるような物が存在したという証拠もないので、被告人の右主張は採用しがたい。なお、小谷方洗面所附近の燃焼が被告人方からの延焼によるものと推定すべき点については前記一(一)参照。

三 次に被告人証第九号の床板は本件火災前に燻焼したものでその焼け穴は本件とは無関係である旨主張するが、小谷花子の検察官に対する供述調書によれば、昭和三五年七月の柳祭の頃、被告人方休憩室とかまどとの境の辺が燻つたとき休憩室の畳を上げると、床板に小さな穴(茶碗の上の方の丸さ位)ができていたが、そのときは畳には異常がなかつたというのであり、また被告人の司法警察員(昭和三五年八月三一日付及び同年一〇月五日付)及び検察官(昭和三六年一月一八日付)に対する各供述調書ならびに原審公判廷(第一八、第二一回)における供述によれば、昭和三三年七月中旬の柳祭の時、休憩室とかまどとの境の根太が焦げて変色したので水をかけて消したが、その際畳には異常なかつたし、その後本件火災に至る迄の間に二、三回かまどとベニヤ板の間に落ち込んだオガ屑がかまどの加熱で焦げて煙を出したことがあるが、水をかけて煙を消したというのであつて、これ迄に証第九号の床板に存するような大きな穴(長さ三二糎、巾一〇ないし一八糎)ができたことを認めるに足りる証拠はなく、また前記のように大きな穴があけば当然畳にも焼け穴を作るものと思われ、休憩室として利用している以上当然気が付く筈であるから、現在残つている穴は本件火災の際のものであることは明らかである。被告人の右主張も採用しがたい。

四 更に被告人は、調理室内部及び同室と休憩室の間のベニヤ板木摺壁の燃焼は被告人方にかけつけた人々が帰つた後である旨主張し、被告人自身警察、検察庁の取調べ以来原審公判廷においても、火災に気が付いて起きた際、調理室には何ら異常がなかつた旨供述しているけれども、被告人はサイレンの音も聞いていないし、(被告人の司法警察員に対する昭和三五年八月三一日付供述調書参照。サイレンの鳴る前に目が覚めた旨の被告人の原審公判廷における供述は信用できない。)石岡消防士が被告人方調理室の消火を終えた後に始めて被告人を発見している(証人石岡宇之助の原審公判廷における供述参照)点などからみて、被告人が起きたのは調理室の鎮火後であつたと推定されるから、被告人の前記供述は調理室が最初に焼けたものではなく後から焼けた旨の被告人の主張を裏付ける根拠とはなりえない。同様に、小谷花子、入江覚太郎、日詰義明、本居千鶴、平野雅司郎らも、本件火災の際被告人方にかけつけ調理室に入つたが燃えてはいなかつた旨供述しているが、(小谷花子は司法警察員に対する供述調書、その余は原審公判廷における証言)その時間的関係からみて、いずれも石岡消防士による調理室の鎖火後に被告人方へ来たものと認められるから、これらの供述も被告人の右主張を裏付ける証拠とはならない。

五 なお被告人は、原判決の判示する延焼状況は火焔が上から下に向つて燃えていくなど甚だ不合理であるというが、原判決の説示する延焼状況は前記一(一)に掲記した本件火災の早期発見者ならびに当夜小谷方に寝ていた河井力蔵、小谷嘉七郎、上田悟、石井勝四郎の原審公判廷における各証言からも推測しうるところであつて、所論の如く不合理なものといえない。なお、火焔は直立する可燃物に沿つて上昇する傾向を有するが、水平または下方への延焼も速度は遅いけれども十分ありうることであるから、結局被告人の右主張も採用することができない。

しかして、原判示のとおり、右かまどに密接した休憩室との仕切り壁の隙間に落ち込んだオガ屑及び休憩室の根太、床板がかまどの熱によつて従来数回に亘り(昭和三五年度においても二、三回)燻つて煙を出し、その都度水をかけて消していたのであるから、そのような状態では火災発生の危険性が大きかつたものというべく、店舗の所有者で営業主である被告人としては、右かまどを移築してこれを根太、床板、ベニヤ板の境壁等から完全に離し、もつて火災の発生を未然に防止すべき注意義務があつたといわねばならない。しかるに被告人は右の注意義務を怠り、引続きそのままの状態で右かまどを使用していたため、遂に前記の如き経過をたどつて発火し、本件火災を発生させたのであるから、被告人は重過失失火の責任を免れることはできない。

以上の次第で、原判決には所論のような事実の誤認はないから、論旨は理由がない。(江上芳雄 木本繁 山田忠治)

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